
Frank Beardは1969年のZZ TOP発足以来のメンバーで、1979年からTAMAのエンド-サーになっている。初めてImperialstarを使ってからというもの、様々なTAMAドラムを使用してきた。バンドは現在、18枚目のアルバムにとりかかっており、来年にはリリースされる予定になっている。
TAMA : 初めてプロとしてライブ演奏したのはいつのことですか?
Frank : 正直に言うとダラス近郊のFt.WorthにあるストリップクラブでDusty Hillと一緒に演奏したのが最初だよ。その時のギャラは一晩10ドルだった。当時高校のバンドにも在籍していたんだけど、ある金曜日の夜にそのクラブへオーディションを受けに行ったんだ。職にはありつけなかったけど、Dustyの兄のバンドthe American Bluesがそこにいて、僕をドラマーとして雇ってくれたのさ。でも、そのために僕はその高校でのバンドを辞めなくちゃいけなくなったんだけどね。1965年頃のことだな。
TAMA : ZZ Topに初めて加わったのはいつですか?
Frank : ZZ Topが結成されたのは1969年。Billyと僕がスタートさせて、Dustyが加わったのが大体その2ヶ月後だね。
TAMA : じゃあ、TAMAのエンドーサーになったのはいつのことですか?
Frank : 79年くらいだと思うよ。最初はRingo Starが持っていたものと同じLudwigの oyster pearlのセットでプレイしていて、その後はRogersのセットを使っていた。でも日本のドラムが気になりだしてね。TAMAを選んだのは、そのハードウェアが本当に素晴らしいものだったからだよ。
TAMA : ありがとうございます。TAMAに最初に興味を持ったのはどういう所ですか?
Frank : ハードウェアの造りだね。Ludwigの三脚はちょっと平面に近いものだったんだけど、TAMAのものは三脚もブームアームも大きかったし、肉厚も厚くしっかりした造りになっていたんだ。だけど、正直に言うとその時のTAMAとの契約ではペダルだけはLudwigのスピードキングを使い続けられるようにしてもらったんだ。というのも、それをもう10年間使っていて使い勝手が良かったからね。だからその時はTAMAのペダルに替えようという気になれなかった。だけどTAMAがアイアンコブラを出してからは、ずっとそればかり使っているね。アイアンコブラは世界で最も素晴らしいペダルだよ。
TAMA : 初めて使ったTAMAのドラムは何ですか?
Frank : 量産品と同じキットだったよ。確かインペリアルスターだったね。ホワイトパールのカバーリングのもので、当時それほどグレードの高いものではなかったよ。
TAMA : どのくらいTAMAのセットを持っていますか?
Frank : 少なくとも10セット。多分15か16セットくらいは持っているんじゃないかな。
TAMA : すごいですね。TAMAドラムの一番の特徴は何でしょう?
Frank : 僕が思うにTAMAの最大の特徴はドラムそのものというよりも彼等の姿勢だと思うね。僕が何かアイデアを思い付くと彼等はそれを実現させようと努力してくれる。例えば僕がバスドラムを離してキットの両端にセットしようとして相談した時は、「IRON COBRA のツインペダルを二つに離して向きを変えれば実現可能ですよ。」と言ってアドバイスをくれた。それに僕が深さの深いバスドラムが好きだと言うと、彼らは僕に深胴のバスドラムを作ってくれた。TAMAは僕と一緒になって仕事をしてくれる。僕がアイデアを持っていれば、彼等はその実現の為の手助けをしてくれるんだ。 ドラム自体に関して言えば僕はダークなサウンドが好きで、TAMAの音は本当に暖かいと思うし、より深みのある甘いサウンドを持っているよ。
TAMA : 貴方がXXXツアーから使っているセットはとてもユニークなものですね。幾つかの長いタムタムとツーバスが普通のセットの2倍くらいの間隔にまで広げられたものですが、そのセットについて少し聞かせてもらえますか。(セットの写真が下にあります)
Frank : アイデアとしては、随分前初めてツインペダルが登場した時に思い付いたんだ。ツインペダルを改造したんだけど、実際に踏むフットボードの位置は普通にツーバスをプレイするくらいの位置で、そこから左右両側に離れたバスドラムを叩けるようにツインペダルを両側にセットしたんだ。ちなみにバスドラムを叩いているペダルのフットボードは外してあるんだ。チャレンジしてみたけど、やっぱり動きが少し鈍いんで使いにくかったな。 2、3年前にアフリカでのツアーをやったことがあったんだけど、それが終わった後、妻と家族でケニヤやタンザニアのサファリに行ったんだ。そこにあったドラムに僕は魅了されてね。それで家に帰ってから、ドラムテックのJohn Douglasと僕のアイデアを実現させたんだ。彼は本当に天才的で素晴らしいミュージシャンだよ!
TAMA : 次のドラムセットの構想はありますか?
Frank : 今丁度その話をしている所なんだ。バスドラムに関してはやれることはかなりやって来たからね。バスドラムをはじっこに離したり、外側に積み上げたり。まぁ、また何か思い付いて皆を驚かせられると思うよ。
TAMA : 楽しみにしています。それじゃあ、ZZ Topで一番思い出に残っていることは何ですか?
Frank : 1つ面白い話があるよ。僕はこの話は「涙を誘う」話だとおもうんだ。1976年頃のことなんだけど、Tres Hombreが発売されて、シングルのLe Grangeも発売されていたな。その頃僕達は3、4本のプロモーションツアーを全米でやった後で、その時初めて百万枚を売ったんだ。そして、自分達がヘッドライナーとなる初めてのツアーの途中で、全ては順調に進んでいたんだ。当時僕達はミュージックシーンの中のトップクラスにいたし、一流のホールで演奏していた。それに売上も上々だったしね。だから自分達でもブレイクする寸前だというのは分かっていたよ。だけど、ヒューストンでの休みの日にその事件は起こった。Billyがミネラルウォーターのボトルを開けようとして左手の中指をざっくり切ってしまったんだ。その傷は八針も縫うほどのものだった。だけど次の日の夜には僕らが初めて人気を得た街であるデンバーでライブをやらなくちゃいけなかったんだ。幾つかの街ですでに人気が出ていたんだけど、デンバーはその1つなんだ。ヒューストン、ダラス、オクラホマシティーのように僕達の第3あるいは第4の故郷と言えるね。
ライブ当日、控え室に皆集まっていたんだけど、Billyの怪我を思うと皆落胆していた。皆ライブをキャンセルするしかないと思っていたよ。でもBillyが「いやだ、この指ででもライブに出る。」と言ってキャンセルさせなかったんだ。そして彼は普段薬指に着けているスライドバーを中指に着けても殆どのスライドプレイはできるとも言った。そこでプロモーターが会場に出て行って事故について説明をした。そして僕達がライブをやってみるつもりだけど、もし最後まで演奏しきることが出来なかったら、別の日にもう一度ライブをやるということ。そして、その時はチケット代はいらないということも話してもらった。ステージの幕が開くと、観客は総立ちで、皆ライターを灯してくれていたんだ。僕は泣きそうになったね。皆本当に素晴らしい観客だった。そしてそのライブは無事大成功を収めた。もしそのライブが気に入らなかったら、ライブ終了後チケットを返却してもらっても構わない。そうすればチケット代も返金するということも場内には事前に案内しておいてもらったんだ。でもチケットを返した人は10人もいなかったよ。このことは僕にとって本当に感動的な出来事だったね。
TAMA : 素晴らしい一夜でしたね。他に今関わっているプロジェクトはありますか?
Frank : うん、一応あるけど今はまだ話せないな。半年以内には分かることになると思うけど、びっくりすることになるよ。
TAMA : ZZ Topのニューアルバム作成に取り掛かっているところだと思いますが、そのアルバムについて少しお話を聞かせて下さい。
Frank : 今ここヒューストンでアルバムを作っているんだけど、その方法は多かれ少なかれ元々やっていた方法に戻っていっているね。何年間にもわたるレコーディング機材の発達はミュージシャンを昔の姿に引き戻している。僕達は1つのレコーディングルームに入って一緒に演奏する。コンピューターがあればマズイところも修復できるし、あらゆる問題を取り除くことができる。プレイだけに専念できるからメンバー同士がお互いの眼を見あって演奏できる。そして、誰かが格好良いプレイをしたらその人に眼を向けるということもできる。今のようなレコーディングスタイルが僕は好きだね。
TAMA : レコーディングの後、ZZ Topは何か次のプランがあるんですか?
Frank : ああ、ツアーにでるつもりだよ。僕達はよく、どうやったら30年間も一緒に活動できるのかって聞かれるんだ。僕達は30年間という期間を特に意識したことはないんだけどね。僕がやりたいのはバンドでプレイするということだけだ。僕達は音楽の為に楽器を演奏しているんだからね。皆は僕達の長期的なプランを知りたいみたいだけど、ZZ Topにとってそれはアルバムを作って、ツアーに出かけ、少し休憩をとる。そしてまたアルバムを作って、ツアーに出かけ、少し休憩をとる。ずっとそうやってきたし、それが楽しいんだ。それが楽しいものである限り、ずっとそういった活動を続けていくだろうね。