
James Bradley Jr(以下JBJ)は4歳の頃からプロとしてドラムを叩いていて、今までにSteve Allen、Jack Benny、The Ohio Players、The Commodores のような素晴らしいミュージシャンと共演した経歴を持っています。彼はChuck Mangioneの代表作「Feel So Good」のレコーディングにも参加しており、またMary's DanishとBeastie Boysのメンバーとのレコーディングに参加し、ツアーも行いました。1999年にCrazy Townに加入し、現在はセカンドアルバムの作成を手懸けているところです。
TAMA : ドラムを始めたのはいつですか?
JBJ : 4歳の時にプロとしてプレイし始めたね。63年か64年ぐらいのことだよ。国営テレビの番組に出演したんだけど、その番組にはSteve Allen、Lawrence Welk、Jack Benny、Nat King Cole、それにLionel HamptonのHollywood Palaceなんかも出演していたんだ。
TAMA : Chuck Mangioneがあなたにとってプロとしての初めてのライブでしょうか?
JBJ : 実際には違うよ。僕は1975年に高校を卒業して、1976年の秋、Denise Williamsと初めてツアーに出たんだ。僕らはThe Ohio PlayersやThe Commodoresらと一緒にツアーをし、それから4ヵ月後くらいにChuck Mangioneのオーディションを受けて、その一ヵ月後、彼から依頼があったんだ。
TAMA : あなたはChuck Mangioneのアルバム「Feel So Good」のレコーディングに参加していますが、それについて少しお話を聞かせて下さい。
JBJ : レコーディングの時は僕達は既に3ヶ月間のツアーを行った後で、1977年の4月くらいにスタジオに入ったんだ。レコーディング期間は2週間だったね。それより前に僕は多くのジャズミュージシャンと共演していた。ここロサンゼルスでPatrice Rushenと一緒に仕事をしたよ。でも、セッション活動だけでは物足りなかったんだ。だから、Chuckのアルバムに参加することは、非常に大きなチャンスだったし、とても素晴らしい経験だったよ。
TAMA : Beastie BoysのKing Ad RockやMCAとのプレイはどうでしたか?
JBJ : 彼らとの共演も面白かったよ。僕がハリウッドに住んでいた時、近くにあった学校でバスケットボールをしていた彼らに出会ったんだ。Ad RockとMCAは二人とも僕の家から数軒のところに住んでいて、週末に彼らと会ってはバスケットボールをするようになった。そうするうちに二人は、僕たちの共通の友人を通して僕が何ものかを知ったのさ。今までに何をやってきたかということもね。その頃僕はMary's Danishというバンドに在籍していたんだけど、そのバンドは当時からオルタナティブロックの中ではかなり有名なバンドだったんだよ。三人目のBeastie BoysのメンバーであるMike Dはバンドのドラマーで、僕が時々レッスンをしたりしてMikeの面倒をみていたよ。僕がパーカッションを演奏して彼がドラムを叩いていたけど、Beastie Boysの
アルバムの中の何曲かは僕がドラムをプレイしたりしていたんだ。本当に楽しかったな。とても素晴らしい体験だったよ。メンバーの皆が本当に僕を必要としてくれたし、僕の才能を尊重してくれたんだ。TAMA : Mary's Danishとのプレイはどうでしたか?
JBJ : Mary' s Danishは実に多様な要素を織り交ぜたバンドだった。僕がそのバンドに持ち込んだのはあらゆるスタイルの音楽をプレイする中で身に付けた柔軟性だ。僕のルーツはジャズやR&B、それにロックにもあるけれどどれも大好きな音楽だ。僕がそういった柔軟性をあのバンドに持ち込んだのは、メンバーがそれぞれ独自の音楽的な要素を持っていたからだよ。あのバンドには二人の女性シンガーがいたけど、僕らの後から出てきた女性ボーカルのバンドの多くに影響を与えたんじゃないかな。
TAMA : あなたが今まで一緒に仕事をしてきた他のアーティストについて教えて下さい。
JBJ : 偉大なジャズギターリストであるEarl Klughと仕事をしたことがあるよ。彼はGeorge Bensonの弟子だね。それにSlash's Bluesballで短い間だったけどプレイしていたね。Mary's Danishの後はRob RuleというMercuryレコードと契約したバンドにも在籍していた。そのバンドではアルバムを一枚作って93年と94年にCandleboxと一緒にツアーをしたね。そのアルバムはとても素晴らしいものだった。ちなみにプロデューサーはDon Gehmanで、彼はHootie and The Blowfishのファーストアルバムをプロデュースした人だよ。
TAMA : 今まであなたは多くの違ったスタイルの音楽をプレイして来ましたが、貴方が一番好きなジャンルは何でしょうか?
JBJ : 僕が好きなのはジャズフュージョンとかファンクロックだね。一番良いのは何の束縛もなくあらゆるプレイが出来る環境であることだよ。ええと、あとジャズフュージョンやファンクをミックスしたようなものも良いね。
TAMA : どういう経緯でCrazy Townのライブに参加するようになったのか教えて下さい。
JBJ : まず、1997年にChuck Mangioneバンドを再結成したんだ。その後3年間は活動を続けたね。そして1999年の2月にある友人が教えてくれたんだけど、コロンビアレコードがその友人とラップ仲間と契約することに興味を示していたんだ。それに彼らも一緒にバンドを組みたがっていたんだ。実は、その友人というのがリードボーカルのEpicで、彼がCrazytownを作ったのさ。そして、2月にChuck Mangioneのツアーで1ヶ月のオフをとったんだけど、その時Epicが僕の家に来て「James、そろそろ僕らと一緒にやることを考えてくれよ。」って言ったんだ。それで僕はハリウッドで行われた彼らのリハーサルに飛び込みで参加してみて、ベーシストとギターリストと意気投合したってわけさ。その頃は僕自身別のロックグループで活動をしようかとも考えていたけど、このバンドでジャムセッションをした後、これならいけると思ったんだよ。そして、Chuckのツアーから帰って来た後、Crazytownはコロンビアレコードのオーディションを受けて契約をしたんだ。その年一年中は色んな都市を行ったり来たりしていたよ。そして正式な契約を済ませてから再びChuckとのツアーに戻った。それが終わって戻ってきてからアルバム「The Gift of Game」のドラムパートをレコーディングしたんだ。3日間で7曲ぐらい録ったよ。
TAMA : 最初にTAMAのドラムで興味を持ったのは何だったのですか?
JBJ : かなり前にTAMAが市場に出始めた頃のことを覚えているよ。僕が覚えている限りTAMAのドラムを使った最初のドラマーの一人はStewart Copelandだったと思うよ。最初に見た時からTAMAの製品はとても素晴らしく、洗練されたものだと思ったんだ。その仕上げもサウンドも気に入ったから、僕が好きだったタムタムのサウンドと較べるようになったんだよ。友人の多くは長い間TAMAのドラムを使っていたんだ。Rayford Griffinもそうだったしね。それまではPearlにエンドースしてもらっていたんだけど、結局替えるなら今だって思ってね。TAMAにエンドースしてもらうようになって分かったんだけど、僕とTAMAには共通の友人がいたんだ。その友人というのは僕のマーケティングディレクターで、Mary's DanishのレーベルであるChameleonレコードに所属している人なんだ。まさになるべくしてこうなったんだなと思うよ。僕がTAMAのドラムを使うようになった経緯はそんな感じかな。
TAMA : そうですか。それではあなたが使っているスタークラシックメイプルのどういう所が一番気に入っていますか?
JBJ : チューニングのし易さとバスドラムのサウンドだね。スネアはまだ全部試したわけじゃないけど、いつも使っているのは12"のもので本当に歯切れが良いんだ。シャープなサウンドは僕がプレイしているような音楽には特に良く合うし仕上げもとてもクールだ。ちなみに僕のセットのカラーはバンドのメンバー達が選んでくれたものだよ。
TAMA : TAMAのハードウェアはツアーでもちゃんとあなたをサポートしていますか?
JBJ : 物凄く役に立ってくれているよ。Ozzfestのツアーで40日以上とか二ヶ月以上とか演奏したけど、TAMAのハードウェアなら何の問題もないことは実証済みだよ。
TAMA : じゃあハードウェアの中で気に入っているものは何ですか?
JBJ : IRON COBRAのツインペダルだね。
TAMA : Crazy Townの今後の予定を聞かせて下さい。
JBJ : 最近は次のアルバムのプリプロダクションを行っているよ。それと僕はアメリカで幾つかのクリニックを行うつもりだし、それに加えてPasadenaという街でギターリストのToby Wilsonと自分のプロジェクトJBJ XPに取り組んでいるところなんだ。Crazy Townは幾つかライブをやるつもりだけど、基本的にはセカンドアルバムのレコーディングに集中したいと思っているよ。